常識と秩序に従うことは大切ですが絵では本当の自分をさらけ出して構わないのです。
人と違うことをしていないだろうか。
絵ではそんなことはむしろしていないならば自分との対話をごまかしていることになり、自由に描いていないことがばれちゃいます。
このさらけ出すことが大人になるとできなくなってしまうから難しいんです。
子供の絵は自由で良い。
なんて言いますが子供は自然に無邪気になれるから自由なんですかね。
だから自由に描くってすごいことなんですよ。
自分に制限を自分以外の意図によって加えられたことも感じていないのは社会に従い生きてきたからでしょうが、自分の好きなこと、特性、絶対に嫌なこと、トラウマ、その原因を追究すると絵の好みも思い出の中から、埋まっていた大多数の土の中から徐々に浮き上がってくると私は考えています。
だから本当は絵は分からない人はいないんですよ。
何が好きか。何を見たいか。
意思、欲望があれば絵も日常と同じで見て考えられるものじゃないでしょうか。
どんな絵も物もすぐに頭から抜けていくし面白いなんて思わないという方はたぶん今の自分自身が一番美しいのかもしれませんね。
自己ほど愛せる対象が見れないのかもしれません。
鏡の前の自己の顔はじっくりみますが他者の顔を見てもつまらないかもしれません。
綺麗と美しいは違う。
美は鏡の前の顔から離れて違う物に夢中になった時に気付かぬ間に起きるものでしょう。
懐かしい思い出は写真やビデオを見ている時ではなくその映っていた時に何かを夢中でしたから感じられる。
その時の自分の顔は見えないのです。本当に美しい自分とは見れないものだから自分を尊ぶのがナルシストでしょうか。
無限の自己の美が想像できるから。
しかし絵描きは皆ナルシスト。自己表現、自分の中から掘り出す美をわざわざ苦しみながらも出そうとするのだから。
風景画家は風景に自分の心の中にある、何かを風景を見てその人だけに解る風景、思いをたくしてしまう。
無意識にしみ出してしまう。
自分の一番隠したい部分を絵描こうとしているんです。
と言った方がいましたがそこまで見つけるまで自分を掘り下げることが出来ることに私はどれだけ苦労をしたのか、考えてしまいます。素敵な人だと感じました。
絵を描くとはこういうことかもしれないな。
と思いました。