私はあまりこだわりがないがこだわりだすとああだこうだうるさいのだ。自分は図太いと言っているが本当にそうなのだが、本当はいろいろ自分にとって何が好きか判断しているようだ。食べ物で言えば、人が美味しいといえば美味しく感じるし不味いといっても美味しく感じる。だからと言って味覚おんちというわけではない。つまりこだわりを通すのにも限度があるしどこまで自分の好きなものを主張するかも限度がある。
その点、私は主張することが嫌いなので特定の人以外には主張しない。あまりうるさい人は大切だが私の求めている自分とは異なる。面倒だからあたしは何を食べても聴いても基本的にプラス思考だ。それって本心を明かさないってことですか。という疑問もでてきてしまうが本心から美味しいか不味いかなんて言っていたらたいていが普通と答えるしかないのだろう。私は本心から美味しいと思うから美味しいといっているのだが。本心から美味しいというのにも人によって自分の中のラインが違うのだろう。口がこえればこえるほど基準が変わってしまうのもある。そうしていったら一流の味覚と共に口うるさい頑固じじいの誕生も予測される。小さい頃に初めての物を食べる時の驚きや感動を生きていくうちにマンネリ化して、その感動を求めてどんどんどんどん未知なるものへ挑戦し、ああだこうだいいたくなる。しかし幼い頃の味が忘れられないのはその感動に勝るものがないからだろう。私はおばあさんになっても何回同じ物を食べても美味しいと思えるようにしておきたい。私の基準は幼稚園児以下でキープしていたいのだ。
こないだ友達に話したが、「エッピーは嫌いなのないね。」というから、「かりんとうの見た目が嫌だ、エビフライ以外全部嫌いだ」といった。特に嫌いな物がない場合、特に好きなものとそれ以外という基準に分けただけである。ここまでこだわりがない人はいないだろう。